鉄舟誌より

十牛図提唱7
鉄舟誌より · 2023/03/20
「坐禅しなければ」という思いで坐禅している間は苦痛なのです。その苦痛を和らげる一つが道友です。先輩方も皆、同じ経験をして十年、二十年と修行を続けているのです。そういう方の一言が苦しいときの一服の清涼剤になります。 その意味で道場に来ることは大切なことです。オンラインでも一部そういうことはできますが、道場で直接には敵いまぜん。

鉄舟誌より · 2023/03/20
 鉄舟会では草創期の大森曹玄老師の頃より直心影流法定の形を稽古するのが通例となっている。会名由来の山岡鉄舟居士もまた大変な剣の達人であった事などを考えれば、この居士禅道場の剣道にも今少し脚光が当たっても良いのではなかろうか、と思ったのが、この記事を書く最初の動機であった。...
十牛図提唱6
鉄舟誌より · 2022/12/24
自我というのは、本質的にどこから生じて来るかというと、我々の持つ「生きる」という強烈な本能からだと思います。この本能なくして人類の存在はありえないのです。また今語っているように禅もありえないのです。ですから、ある意味すべての活動の源と云えるわけです。その意味でこの自我意識は先ほどのように否定的でもなければ、また肯定的でもないのです。

十牛図提唱5
鉄舟誌より · 2022/09/20
「自分の中に向かっていく」というのは自分とは何か、それは今生きて、考え、行動している自分ではなく、それを突き動かしているもの、自分の根源を追求していくことです。これが禅です。  従いまして、これが毎日、全ての時間でできれば僧堂と何のかわりもありません。そして、これは可能であり、在家修行者が日常の喧騒と並行して成し遂げなければならないことなのです。もちろんフルタイムで可能ではありません。重点を郊外に置くか、都会の喧騒に置くかなのです。

十牛図提唱4
鉄舟誌より · 2022/08/20
岡潔先生が仰っているのですが、寺田寅彦先生が当時の松山高校に在学だった時、夏目漱石先生が教壇に立っておられた。その時に漱石の家に行って質問をしたのです。  「俳句とはどんなものなのでしょうか」 すると、漱石先生は、 「しぐるるや黒木つむ家(や)の窓明り」(凡兆)のようなものであると答えたのです。 しぐれの音無き雨音が聞こえるようではありませんか。そして雨にしっとり濡れて黒くなった薪に窓明かりと、なんともいえない懐かしさが感じられませんか。

十牛図提唱3
鉄舟誌より · 2022/03/30
自分の悩み、疑問を晴らしたいと誰もが思うわけですが、いざそこにぶつかると、どうしたら良いかわからない。それでスマホで友達に尋ねる。ネットにある意見にとりついてしまうこともある。 情報の量は過去に比べて激増しましたが内容はほとんど変わりない。そして自分の問題を本質的に解決してくれるものも昔から変わらない。変わったのは圧倒的な情報量とその見栄えの中に埋もれてしまっていることです。

十牛図提唱2
鉄舟誌より · 2021/08/10
求める牛は自分の中にある。もともと悟っているということです。これを本(ほん)覚(がく)ともいいます。もともと悟っているのに、なんで牛を求めなければいけないのでしょうか。 その理由も自分の中にあるのです。つまり「仏様」とそれを「くらますもの」の二つが同時に存在しているのです。そのどちらに支配されるか。ここが問題となるわけです。

鉄舟誌より · 2021/04/11
 今回から十牛図を拝読いたしますが、始めに全体についてお話しいたします。...

鉄舟誌より · 2020/05/12
 これまで述べたように、書はそれを書いた人の境涯を隠すことなく現わしています。その人の気力の有無、品性の高低など、具体的に手にとるように判断することが可能です。...
鉄舟誌より · 2019/11/10
 書で大切なのは技巧や形体でなく、墨気の良否です。書道を修練する目的は墨気を深く清くするためであり、書を鑑賞する場合もただただ墨気を観察することに尽きるといっても過言ではありません。...

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