鉄舟再復刊57号 巻頭言

「安心」

垣堺玄了

「一直線 」

 

子どもが 走っていく

一直線に 母親の胸に飛びこんでいく

 

ぼくにも あんな日があった

仕事で 迎えが遅くなるあなたを

不安な気持ちで待っていた

あなたはいつも満面の笑みで現れて

ぼくは ほっとして泣いてしまう

涙でぐしゃぐしゃの頬を あなたの両掌で包まれ

ぼくは やっと笑顔になる

(中略)

いつからだろう

あなたに うまく伝えられなくなったのは

最近 あなたと話したのは いつだっただろうか

 

なんでもいい あなたと話したい

子どものころのように 一直線に走っていきたい

 

 

「るすばんの夜」

 

9時になったのにまだママは帰らない

さっきから 何かに

まあるく取り囲まれている 私は

顔をあげるのが恐ろしくて

童話を読むふりをつづけながら

いつかその中心に ちぢみはじめ

私がちぢむにつれて

まわりの何かは

とどろくばかりのオーケストラにかわり

とうとう 消えはてた私のあとに

指揮者のように

ママの笑顔が立ちあらわれたのだった

両手に山ほどのおみやげをかかえて・・・

ありありと それを見ていながら

どこにも私はいないのだったが・・・・

 

 

「るすばんの夜」は「ぞうさん ぞうさん お鼻がながいのね」の童謡でも知られる詩人まど・みちおさんの作品です。「一直線」は奈良少年刑務所、「社会性涵養プログラム」受講生の作品です。「一直線」の一語に思いの丈が集約され、その状況が目に浮かびます。皆さんはこの二つ、どのようにお感じになったでしょうか。

 

「社会性涵養プログラム」は月一度、一時間半、六回の講座で、そこに参加するのは十人程度だそうです。その全員が最終的にはこのような詩を書くようになり、人一倍生真面目で繊細な詩だといいます。どの詩も自分のやってきたことへの痛切な後悔と気づきで貫かれています。この講座を担当した寮 美千子さんは「ここに来る人は家庭で育児放棄されたり、学校ではおちこぼれの問題児で先生からもまともに相手にしてもらえず、福祉の網の目にもかからなかった。だから情緒が耕されていない。自分で自分の感情がわからなかったりする。でも、感情がないわけではないから感情は抑圧され溜まりに溜まってある日なにかのキッカケで爆発する」ところが、「この人たちに詩を書いてもらい、お互いに評価し合うと、受講生たちは、みな、耳を澄まし心を澄ます。たった数行の言葉が百万語よりも強い言葉として相手の胸に届いていく。届いたという実感をお互いの評価の中で感じとっていく。人の言葉の表面ではなく、その芯にある心にじっと耳を傾け、人と人を深い次元で結び、互いに響きあい影響しあう」と述べています。更に「社会性涵養プログラムは詩の力を知らしめてくれるとともに人は変われるということを信じさせてくれた」と言っています。そして「あたたかで 安心できる座が心をはぐくむ」と総括しています。

 

安心 を禅では「あんじん」と読みます。広辞苑によれば、安心(あんしん)とは「心配・不安がなくて、心が安らぐこと」また、 安心 (あんじん)は「信仰により心を一所にとどめて不動であること」とあります。「心を一所にとどめ不動」とは信じること、信頼に通じ、これが 安心(あんしん)に繋がります。

 

この安心 にも段階があると思いますが、始めに、なんとしても衣食住の安心です。少し前、日本では一億総中流といわれた時代がありました。日本は更に上を目指し、欧米に追い付け追い越せでしたが、諸外国からは、こんなに平等で安全な国はないと高く評価されていたのでした。それが今、衣食住の心配が現実として存在し、社会安定の根幹が揺らぐ状況です。そして新型コロナウイルスはこれを圧倒的な力で増長させております。

 

衣食住が整い、次に切実に迫るのは「生きている価値を実感する」ことだと思います。それは誰かに「あなたは必要だ」と言われることや、「自分は何者か」を感得することです。SNSが盛んになる理由がここにあります。誰かに認められたい、そして認められる場を共有したい。こうして、その空間が増大していきます。この安心はとても大切なものです。人が心から動くのは情の力に因るからです。「社会性涵養プログラム」の詩には「自分の存在そのものがありがたい」「日常こうしているのがありがたい」という意味のものが数多く見受けられます。「自分とは何か」を無意識に感じとっています。隔絶された環境の厳しい規律下で生活し、作業に没頭することで心が純化され、自分の存在を見つめているからだと思います。受講生は、そこに来るまでギリギリに追い詰められていますから、何かのキッカケによってポンと世界が一挙に開け、その根源まで辿りついてしまうのではないでしょうか。禅修行でもギリギリのところに自分を追い込めよといわれるのはここのところです。この時、本当の安心に目覚めます。

 

 

参考文献 

「空が青いから白をえらんだのです」 奈良少年刑務所詩集 寮 美千子編 新潮文庫

「まど・みちお詩集」 井坂洋子編 中村桂子エッセイ  ハルキ文庫