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春の接心が終わりました

5月5日に春の接心が終わりました。僧堂の雲水生活に準じた修行内容です。食事の仕方から始まり、拝の仕方、返事の仕方、などなど、作務、坐禅、入室参禅とからめて行います。

 

頭では皆、分かっているのですが、やってみると出来ないんです。

例えば、看頭さんが箸を置いているのに、関係なくマイペースで食事してみたり、拝をするのでも引磬に合わせるのではなく自分のペースで行う。

 

日常での集団行動が極端に少なくなっています。電話でなくラインの方が煩わしくなくて気楽ですからラインでは理路整然として話すが対面だと極端に話すことができなくなるということが起こります。

 

これは自分というものを大事にすることから起こる現象です。

禅はその自分を根こそぎ取ります。

自分をなくすことは他人の都合に完全に合わせるということです。少なくとも修行している時はこれが修行なのです。それを体に染みこませようとしないのは教養禅でしかないと思います。接心はその訓練の場でもあります。(玄了)