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書の会について(書の心)

鉄舟再復刊53号掲載(有賀原木氏寄稿)

 最近のことですが、「鉄舟会における〝書〟と〝剣〟(法 定)について何か書いていただけませんか」と、玄了老師よりき わめて丁重なお話を受けました。

 これは困った。書については、大森老師の『書と禅』、剣といえ ば『剣と禅』があるではないか。また『参禅入門』『山岡鉄舟』 など名著があるではないか。それらを読めば事は足りると思って いました。

 しかし、考えてみれば大森老師が遷化されたのが平成六年、現在 道場で活躍されている人の中にも大森老師に会ったこともない人 もいれば、その著作を読んだこともないという人がいるかもしれ ないし、あるいは目を通しただけで素通りしてしまった人がいる かもしれないと思うと、知らんぷりは出来ないなとの思いもあり、 頭の片すみにおさめていました。

 

 そこで思い出したのが昭和五十三年、日本実業出版社から発行 された『人の上に立つ人の心』―大森曹玄著、です。

 その「あとがき」の中で老師は、「昭和五十二年二月、来訪され た編集長は道場(上野原・国際禅道場)の近くに宿をとって丸三 日間、朝から夕暮まで私と対談した。私の隠寮の日だまりで一問 一答した録音を、文字にしたものが本書である」と述べています。 昭和五十二年といえば、老師は花園大学の学長であり、青苔寺国 際禅道場の師家も務め非常に忙しい日々を送られていました。鉄 舟会の例会では堂内に中なか 単たん を二列敷いても人が入りきらず、玄関 の外に靴が遠くまであふれるという事もありました。

 老師は当時七十三歳、意気軒昂、最も充実期にある老師でした。 従って、それまで老師の積み上げてきた境涯や、基本的な考え方 が端的にわかりやすく語られています。

 

 本書は、「気力」「剣の心」「書の心」「宗教の心」より成り、本来 ならすべての項に目を通して頂きたいのですが、ここでは「書の 心」を載せることとし、本書の紹介をもって、私の役目とさせて 頂きます。

 

書の心(大森曹玄)

 私どもは、書というものを人間形成の方法、もしくは形成され た人間の表現法と考えているのです。私どものやる書道というの は、要するに自分の集中した心身の力、一念の力というものを筆 端を通じて表現することです。これは不思議なもので、書には、 書いた人の刹那における全身心の状態が、見事に出ます。もちろ ん、癖も出ます。よい癖も、悪い癖もすべて―。ですから、それ を点検することによって、自分という人間をつくっていく上での 参考になるわけです。

 

 本当に書ほど率直に、まるで写真に撮ったように自分の心的状 態なり、性格なりが出るものは少ないと思います。というのは、 これ、一本勝負ですからね。もちろん、絵でもちゃんとそういう ものは出ますけれども、絵の場合は描き加えるとか、色を重ねて ごまかすとか、何とかできますね。けれども、一本勝負の書では、 そうはいきません。

 

 したがって、書を見ることによって、書いた人間の現状を見、 それによって、是正すべきは是正するという指導ができるわけで -11 - す。同時に、書いた本人も、長所・欠点を客観的に見ることがで きます。俺の書だから好きだとか、俺の書だからよく見えるとい うことがないですからね。自分というものを純粋に、客観的に、 虚心坦懐に見ることができる。というより、見ざるを得ないわけ です。書にはこういう便宜性、長所がありますね。

 

 書く人の気力が筆を通じて出てゆく。それを私どもは〝墨気 〟と呼んでいますが、それが明瞭に出るのが書道なんです。「書 道なんかに気力は必要ない。ただ技巧的にうまく紙の上に字を 書けばいい」という考えかたでは、人間形成には役立ちません。

 十人が十人、みんなが一人の先生の字を模倣して、誰が書い た字かもわからないものがいいか、たとえ技法的には拙くても、 一目で、あの人の字だとわかるものがいいのか。説明するまで もないと思いますが、私はやはり、書いたものに作者自身の命 が躍動していなければならないと思います。

 書道もまた、筆端から迸るエネルギー、気力を練ることが大 事なのです。

 

技法は末、錬心こそ本

入木道の書

 私が主催している東京の鉄舟会と山梨の青苔寺道場では、どち らも専門の坐禅のほかに、剣道と書道をやることにしています。 つまり、他の手段をもってする坐禅というわけです。

 

 禅を修行するには、必ずしも坐禅の形をとらなくてもよく、坐 禅と同じ内容をそなえていれば、何をやってもいいのです。真実 の自己に目覚め、それを日常生活に生かしてゆくことが禅ですか ら、その目的にかなうならば、剣道でも書道でもいいし、またほ かの茶道とか華道をやってもよいでしょう。

 ただ私は若いときから剣と書を学んで、この二つが人間形成に 端的に効果があることを知っているので、これを自分の道場で採 り入れているだけのことです。

 このうち剣道が気力を練り、心の練磨に役立つものであること は前章で話しました。ここでは書道を中心に述べてみたいと思い ます。

 

 私が学んだ書道は、入木道といいます。弘法大師が唐から伝え られたもので、昔、王義之が板に文字を書いたら、墨が木の中に 三分、石の中に一分入ったという故事があって、それが名前の由 来になっているわけです。

 私はこれを横山天啓翁について修行しました。天啓翁は入木道 四十五世・張堂寂俊師に学び、その入木道に一家の見を加え、筆 禅道というものを昭和の初め頃に創始しました。

 天啓翁は「書には二つの道あり。書道と習字なり。世人これを -12 - 混同するも。天地の差あるを知らざるべからず」と言っています。 そして、習字が他人の書体を真似る、技巧を学ぶだけのものであ るのに対し、書道は錬心を本とし、孔子のいわゆる〝心の欲す る所に従って矩を踰えず〟の境涯を、紙上に顕現することが目 標だというのです。技巧は書道にとって末であって、錬心こそ本 だというのが翁の主張です。

 天啓翁の書の稽古は、まず線香三本分の坐禅から始まるのです から、これだけでも普通の習字の練習とは随分ちがっています。 坐禅がすんで、ようやく筆を持たしてくれるのですが、唐紙の全 紙を三つ切りにしたものに、たっぷりと墨を含ませた大筆で、一 の字を書きます。山岡鉄舟も高山時代に岩佐一亭から入木道を習 い、のちにその五十二世を相続していますが、一亭は三年ばかり は一の字だけを書かせたと伝えられています。

 

 弘法大師は「混沌開基の一点」といって、絶対無の境地から筆 を起こし、絶対無のところへ筆をおさめることを教えています。 つまり無限の彼方から筆をおこし、書き終わったらまた無限の彼 方へ筆をおさめる気持ちです。形としては、空中に円を描いて霜 の降りるように静かに紙上におろします。紙に筆がついたら、渾 身の気力を注いで、あたかも重い石に綱をつけて地上を引きずっ ていくように、渋く強く精一杯に筆を運びます。不連続の連続で 点を打っていくような感じといえば、わかりやすいでしょうか。

 

 書いているときは、臍下丹田に集中した気力が筆先に貫通して 紙上に流れ出すわけで、これは剣道で全身の気力が竹刀の先から 発するのと同じことです。

 上達してくると、意識せずに自分の体が無になり、絶対者の絶 対力が無になった自己を通じて流れだしてくるようになり、そこ までゆくと、筆よく手を忘れ、手よく筆を忘るる境に到ことが可 能となるわけです。

 私が天啓翁について学び、いまは道場で修行者に教えている書 道は、こういうやり方をしているのです。


初めは強く

 上達してくれば、自分の体が無になり、筆よく手を忘れ、手よ く筆を忘るるといいましたが、初心者にはもちろん、そんな教え 方はしません。全身の力をこめて、力いっぱい筆を握らせ、あり たけの力をこめて線を引かせるようにします。筆が折れても、紙 が破れてもかまわないから、力いっぱい書け、と。しかし、そう 言っても、実際には強い線は引けません。力が入らない。自分で は力いっぱい線を引いたつもりでも、上っ面を撫でているだけで す。もっと芯のある強い線を引けと言っても、初めは弱い線しか 引けない。

 

 しかし、そのように気力をこめて、力いっぱいの練習を繰り返 -13 - し続けていると、だんだん強い線が引けるようになってきます。 それをさらに何年も修行して、その強さが練れてくると、こんど は柔らかな線になってくるのです。柔らかな中にピーンと筋が通 った強い線が引けてくる。ここが大切です。

 ところが、今の書家は、初めから柔らかい字を書かせようとす る。筆を持つのも柔らかく持たせて、ただ型だけ恰好のよい字を 書かせる。たしかに技巧的にはそのほうが上達するでしょう。し かし、これは習字としてはよいかも知れませんが、私どもの目的 とする書道ではない。気力を養うことはできません。人間形成に は何の役にも立ちません。

 

 姿勢を正し、心を落ち着け、深呼吸しながら気力を充実し、腕 力いっぱいに強く強く線を引く。そういう練習を繰り返しやって いて初めて強い線が引ける。そこを経由してきて、さらに修行を 積んで柔らかい線が出てきたら、これはホンモノです。柔らかい といっても、弱いのじゃありません。鉄棒のような強さが芯にあ って、しかも柳の枝のような柔らかさです。

 初めから柔らかく書いていたら、いつまでたっても技巧だけの 字になって、ひとつも生きた線は出てきません。


修行は仁王のごとく

 剣道でも、私のところで稽古した者が他の道場へ行くと、叱ら れることがあります。打ち方が強すぎる、もう少し軽く打て、と。 しかし、最初から軽く打つ練習をしていたのでは、本当に打った という打ち方はできません。竹刀があたった、というだけです。 まあ、今の剣道の試合は、早く相手に竹刀をあてれば勝ちですか ら、そういう練習方法になるんでしょうが、これは私に言わせれ ば、剣道でなくたんにスピードの競技にすぎません。

 

 筆を持つときは上から引っぱったら抜けるように軽く持て、竹 刀は向こうから引っぱったら抜けるように軽く持て、そういう教 え方をしています。これはいいんです。いいんですけれど、それ を初めからやっていたら、無気力な書になり、無気力な剣になり ます。

 

 観音さんは柔和なお姿で本堂にいらっしゃる。しかし、そこへ 行くには入口の門を通らないといけない。門には気力充満の仁王 さんが阿吽の呼吸を示して突っ立っています。まずこの仁王さん を見習って、相手の心肝に徹するような気を練ることが肝要です。 仁王のごとき気迫で修行して、練って練った極致が温顔の観音さ んになるということですね。だから、目標はたしかに観音さんに あるわけですが、そのためには仁王さんの勇猛の気力を見習う時 期が絶対に必要なんです。

 

 竹刀を持つときは握りつぶすほど強く持つ。そして力いっぱい 打つ。それを何回も何回も繰り返し、千錬万鍛しているうちに、ふんわりと竹刀を持ってふんわりと打って、柔らかくあたりなが ら、打たれたほうはピーンと体の中までこたえる、そういう剣道 になるんです。

 書も、柔らかく筆を持ち、柔らかく書きながら、力いっぱい書 いたよりも強い線が引けるということになります。

 つまり、最終目標として目指すべきものを、そこまでの距離を 無視して、いきなり目標そのものを教える。仁王さんを飛びこえ ていきなり観音さんの外形を教えようとする。これが現在の剣道 や書道の教え方の欠陥です。それでも外形的な技術は学べるでし ょうが、ただそれだけのもので、気力を養ったり、人間形成に役 立てることはできません。

 

 私は、子供の教育でも、同じことが言えると思います。今は幼 稚園でも小学校でも、子供をおとなしく、おだやかにする教育方 法がとられていますね。その方が父兄も喜ぶし、先生も安心でき るからでしょうが、これでは子供を去勢してしまいます。喧嘩を しても、あばれまわっても、少々のことは構わないじゃありませ んか。力いっぱいやらせることが、幼稚園、小学校時代には必要 なんです。

 それを大人と同様に、型にはめて、小さいときからおとなしく させようとする教育法は、基本的なところで誤りがあると私は思 います。

 

 こんな乱暴じゃ困る、もっとおだやかでないと困るというんで すが、小さいときから大人と同様に考える必要はないんで、小さ いうちは何にでも力いっぱいやらせて、練っていけば、適当な時 代に適当なものになるんです。それが成長というものでしょう。

 それはちょうど、川を流れる岩石と同じことです。上流を流れ 出したゴツゴツとした岩石が、ゴロゴロと流れるにしたがって適 当に角がとれて、海に流れこむ頃には丸くなっている。ここに教 え方というか、指導の要諦があると思います。

 

 あまり小さいときから大人というか、最終のところを目標にし て教えるということは、よくないのではないか。これは子供のこ とだけでなく、大人を指導する場合にもそういう感を持ちます。 幼年期から少年期へ、少年期から青年期へ、いかなる段階でも、 まず強さをもつことが必要です。強さに徹し、気力いっぱいやる 時期がないと、芯のある強い人間はできません。

 

 会社で新入社員の教育をやりますね。この場合でも、初めは仁 王さん、不動さんの勇猛心にあやかる訓練をやる。強く強く、力 いっぱいのものを出させるように訓練すべきです。強く鍛える過 程なしに、いきなり模範的な社員にしたてようとすると、えてし て無気力な、好人物ではあっても、本当に役に立つ人間にはなら ないのじゃないでしょうか。

墨気を見る

書家の書のつまらなさ

 書で大切なのは技巧や形体でなく、墨気の良否です。書道を修練する目的は墨気を深く清くするためであり、書を鑑賞する場合もただただ墨気を観察することに尽きるといっても過言ではありません。

 

 昔から、ただ技巧的にうまいだけの書家の作品が珍重されたという話を聞いたことがありません。たとえ一時はそういうことがあったとしても、長く歴史に残るほどのものはありません。中国でも日本でも、現在まで伝わって珍重される名筆は、専門の書家のものではなく、すぐれた僧か学者、または政治家や武人のものです。

 その理由は、熟練工的技巧派の書家の作品には、人の心を打つ力、あたりをこめる香りや気品がないからです。人物としてすぐれたものの墨跡には、書いた人そのものが存在しています。自己の本源から発する〝何ものか〟がそこにあります。それが見る人に感銘を与えるのです。その見る人に感銘を与える〝何ものか〟を、墨気というのです。

 

 天啓翁は「墨気とは、通俗にいう墨の色にあらず、紙の精粗にあらず、筆の善悪にあらず、心の境涯に非ざれば出し能わざる墨色を指すのである」と言っています。

天啓翁は、書の鑑賞においては古今有数の力量を持っている人だと思います。その天啓翁は書を鑑賞する場合、墨気だけを観て、他は一切無視しました。「鑑賞の第一義論は、書体に非ず、筆勢に非ず、書法に非ず、ただただ墨気の一点にあり」と。

 ところで、書には贋物が横行しています。これは書の真贋を鑑識するのに、筆勢とか書体より鑑定しようとするからだと、天啓翁は指摘しています。「もし筆勢とか書体より鑑定せんか、器用なるものは何百何千枚も臨書すれば、その書体において真跡と殆ど髣髴たるものを得ることは困難でない、これ世に贋物の流行する所以である」ところが墨気は、そうはいきません。これだけは真似ることはできません。いくら真似ても、墨気は出せるものではないのです。

 

「墨気に至っては手先では絶対に出し得ず、全く精神生活、即ち其人の人格の高さの表現であるから、大西郷の心境の人にして始めて大西郷の墨気を出し得べく、弘法大師の崇高の境涯の人にして始めて大師の如き墨気を出し得る」。

 

 だから墨跡の鑑賞とは、人物の鑑定にほかなりません。墨跡の鑑賞ができないということは、人物の良し悪しがわからないということになります。墨跡の鑑賞ができるためには、鑑賞する人の人格というか、人間修行が絶対に欠かせないわけです。

 

書を通じて学ぶ

 横山天啓翁はかつて「現代禅僧墨跡展」に出品された七十余名の諸禅匠の境涯を、その墨跡によって完膚なきまで批判し、「大乗禅誌」に発表して物議をかもしたことがあります。そのとき「ああいうことは、今後なさらないほうがいいでしょう」と申し上げたら、悲しそうな顔をして「君は、わしに死ねというのか」といわれた。「わしは書道をもって世の中を浄化することが、わしの使命だと思っている。それがいけないというなら、わしは死んだほうがましだ」と。

 それを聞いたとき、わたしは頭を下げました。良いものはよい、悪いものはわるいと、断乎として批判し、その批判には責任を持つどころか、生命をかけていたのです。

 

 これは私事で恐縮ですが、ある人が横山天啓先生の鑑賞眼は認めるが、内輪のものに甘いのじゃないかと批評されたことがあります。で、私は、内輪に甘いかどうか証拠を見せようと、天啓翁からもらった一通の手紙を示しました。

 それは東京の臨済会が開いた「禅匠墨跡展」に出品した私の書に対する見解が書いている手紙です。天啓翁は、墨跡展の期間中、三日間毎日見に行ったそうです。最後の日は、もう片付けていたのを、係の人にいって私のものを一幅だけ出してもらって、また何時間も何時間も見ていた。あとで一週間ほど、歯が浮いて食事がしにくかったといっていますが、それほど一生懸命見てくれたんです。

 おれは君の書を見た。初めは、いいなと思ったが、だんだん見ていると、ボロが見えてくる。そこで心配で心配でしかたがないから、また見に行った。最後の日は、もう片づけていたが、頼んで出してもらって、何時間も何時間も見た。そして最終的に自分でも納得がいって、断定を下したときは、涙が出た、と手紙にかいてあるんです。

 君は現在では、師家中の中ごろだ。中ごろでも師家として恥ずかしくない力を持っていると断定できたので、嬉しくて思わず涙が出た。禅僧として、山本玄峰、古川大航、足利紫山の三人は、古今の一流の禅者とくらべても劣らない力量を持っている。将来、これについていける力があるものとして山田無文ら二、三名がいる。君はそのあとで師家中の中ごろだ。君はここで安心しちゃいかん。一流のところまでいけるはずだ。君の欠点は才があるということだ。君が才をなくしてやれば、力においては今でも一流だ。君が本当に才をなくし、徳をたくわえていけば必ず近い将来一流のところへ行ける。おれはその力量を認めた、と書いてある手紙なんです。

 自分の弟子だからと、決してよい加減に見て、適当な意見を述べているんじゃない。そのあとで一週間物が食べられなくなった、それほど一生懸命に見てくれた上で批評しているんです。これはもう二十年近く前のことで、天啓翁も十年ほど前に亡くなりましたが、書道を通じて私は天啓翁から多くのことを教わっています。

 わたしはその頃、毎週一度行って清書を提出しましたが、翁がそれに朱で批評を書いてくれるんです。それは今も手許に残っていて、時おり引っぱり出して反省の資料にしています。その批評には、お前は才があるのでなくせ、ということや、諸刃の剣で斬れすぎるから、それを鞘の中に入れろという指摘が何べんもありました。斬れすぎるから相手を傷つけ、自分も傷つく。敵を攻めるときは、相手の逃げ道を開けておけ。お前は四方をふさいでおいて叩くようなところがある。そのような具体的なことを書を見て注意してくれるのです。

 

 私は、才があるということが嫌で、ずっと神経にひっかかっていました。ところが、それがあることから解脱できました。私の知人に八十いくつの手相見の大家がいまして、その人に「横山天啓先生に、お前は才があるのがいけない、その才を捨てよといわれた」と話したのです。すると、その人は「あんたに才があることは、その才を今の世の中で使うべく天がさずけたものだ。その才を使わなくちゃ宝の持ちぐされじゃないか。私は横山さんのように才を捨てろとはいわない。その才を大いに使えといいたい。天がさずけた天分だ。それを生かさなきゃ天分をそこなうよ」と言ってくれたのです。

 

 それを聞いたら、これまで才があるという言葉にひっかかっていたのが消えてしまって、気が楽になりました。それまでは才があるということを意識して、自分で才にひっかかっていたんですが、気が楽になったら、ひっかからなくなった。才があろうが、なかろうが、ありのままでいいじゃないか、という気持ちになれました。

 

 私は禅を関精拙和尚について修行しましたが、禅ではそのような指摘を受けたことはない。公案の問題とか禅についての指導は受けましたが、個人的な性格や才覚に対する批評や、具体的な世の中を生きてゆくための処世術のようなものは教わらなかった。むしろ書道の先生に、それを教えてもらったのです。

書というのは、そのようにそれを書いた人の人格の長所・短所を指摘して導いてゆくこともし、また自分で自分の書を見て反省の材料にすることもできるのです。

 

 書は上手に書けるようになればいい、あるいは楽しみながらやるもので、人格形成などむずかしいことを考えなくてもいい、といわれるかも知れませんが、これは結構楽しみながらできることなんです。

 とくに墨気を見て、書いた人の人格、境地がわかるようになると、昔の偉大な人物の墨跡に接することによって、時間のへだたりを飛びこえてその人と対面し、会話を交わせるわけで、これは楽しいものです。相共鳴したり、あるいは反発したり・・・。西郷南洲とか山岡鉄舟とか、禅では白隠さんとか邃翁さんなどと、生きた人に会うように対面できる。こんな楽しいことはない。決して堅苦しいものでも、鹿爪らしいものでもありません。


張る、澄む、冴える

 墨気ということについて、もう少し説明してみましょう。

 墨気は線と同じではありませんが、線を離れては存在しません。線というものを、私どもは、西洋人のようにただ面と面とが物理的に接するところに生ずるものとは考えません。また、点と点とを羅列したところに生ずるものとも考えません。一点、一点が、気合によって生命を吹きこまれ、生きて統一されたものが線であると思います。点の不連続の連続によって成るもので、一点、一点が生きて、息(い)吹(ぶ)いているからこそ、線の墨気が活きてくるのです。

 

 徳川中期の剣客に都治無外という人がいて、この人の剣の極意に「玉簾不断」という組太刀があります。玉簾とはつまり滝のことで、滝というのは水流ではない、水滴だというのです。滝は一条の水流のように見えるが、その実は一滴一滴の水玉が次から次へと落下している姿です。一滴一滴は、あくまで断絶した絶対の個でありながら、しかも連続した水流を現成しています。

 点とは不連続をいい、線とはその連続性をいいます。線は要するに、絶対現在における点が、無限にいま、いまと不連続に連続している姿にほかなりません。

 無外がこういうことを言えたのは、実際に自分が剣で斬りあった体験の結果としてでしょう。剣客は水流では動作できない。水滴として、今という瞬間にパッと行動しなければならないのですから。いずれにせよ、一介の剣客が、剣理をここまで把握したことは、驚くべきことだと思います。

 

 一点、一点に生命がなければ、その線の墨気は当然のこととして死んでしまうし、この一点に気力が集中できれば、線は活力に満ち、墨気はゆるみなく張って活きてきます。

 張るとは、たとえば綱を両端から強く引いたように、ピーンと緊張して弛緩のない状態です。これは書道の第一の関門ですが、しかし初心の段階とはいっても、相当の修練をつまないと気力も集中できないし、線を引いてもなかなか張ってきません。

 この段階の線は、いちおう強くは見えますが、枯れ枝のような強さで、曲げれば折れる固さがあります。

 さらに精進に精進を重ねていると、線が内容的に充実してきます。まだ柔らかさが出るところまでいかないにしても、気の濁りは消えて、表面的な気張りもなくなります。こうなると墨気は澄んでくるのです。

 この〝澄む〟というのは〝澄ましてる〟という言葉がありますが、あの澄ましてることではありません。コマが回転の極にあるとき、全然動かず静止状態で立っているように見えます。子供たちはそれを〝澄んだ〟といいますが、これと同じです。

 点に気合がみちて充実し、しかも不連続に連続すれば、線は活きいきとしてきます。墨気の澄むというのは、そのことです。

 されに充実して澄んでくると、不純物や夾雑物がなくなり、気はおのずから晴れわたった秋空のように、深味をもって冴えてきます。

 墨気の冴えるということは、言葉を換えれば、気品の高いということで、書の究極は、気品高く冴えるところにあると思うのです。

 その気品ということですが、俗に「美人、権あり」というのは、本当の美人ではないし、気品があるともいえません。真の気品は、内容的にいえば温潤でなければなりません。温かくて、潤いがあるということですね。

 

 字というものは、筆をおいたばかりのときは、当然潤ってます。それが暫くすると、墨が乾いてくる。乾いてきたときに、線や色が無味乾燥なものになってくるのが普通です。ところが、いくら時間が経ってもいま筆をおいたばかりのように、温かく、したたり落ちるばかりの潤いのある書があれば、それが気品があるといえるし、墨気が澄んでいる、冴えているといえるのです。