臨済宗天龍寺派 鎮国山 高歩院

 東京都中野区にある臨済宗天龍寺派鎮国山「高歩院こうほいん」は、幕末の幕臣、山岡鉄舟居士の住居跡地に建てられた寺院です。所属する禅道場は、都会の中で日々多忙に生きる社会人にむけて坐禅修行する場を提供しています。

山岡鉄舟居士ゆかりの地で

本院鎮国山 高歩院は、山岡鉄舟居士を開基、関精拙大和尚(天龍寺派管長)を開山とし、昭和十八年に東京都中野区の山岡鉄舟居士邸宅跡に建てられた禅宗寺院です。高歩院という名称は鉄舟居士のいみなである「高歩たかゆき」から名付けられました。

ここは、かつて山岡鉄舟居士が西郷南洲、勝海舟等と度々会合を重ね、国事を語った史跡です。また、明治に入って鉄舟居士が四谷に居を移した後は伏見宮に献上され別邸となった場所で、大正天皇の御幼少時代に何度か御来遊なされた由緒ある地でもあります。

 

昭和十七年、この土地を手に入れた大阪の一老人がそのいわれを知り、中心部の池をめぐる一角が当時の天龍寺派管長である関精拙禅師に寄進されたことで、ここに「鎮国の道場」を建立する運びとなり、昭和十八年五月八日に鎮国山高歩院は落慶しました。

 

昭和二十二年に第二世住職大森曹玄老大師が赴任したときには、空襲と戦後の紛争で敷地は縮小、ただ焼け残りの書院あるのみで寺財も全く一物もない状態でしたが、「ただ開基鉄舟居士の遺芳と、開山精拙大和尚の禅風」これだけあれば安禅鎮国の場と作るのに他には何もいらないとの強い思いで、剣・禅・書を広く掲げる居士禅道場として鉄舟禅会が開かれました。以来、居士禅の普及に力を入れています。

 

この道場は、出家した雲水が修行するという、いわゆる「専門道場」ではありません。もっぱら一般、在家の社会人である居士が「自分自身を見つめ、究明する」ために坐禅や作務にとりくんでいます。大森老師は、禅修行の手段として、剣と書の指導にも力を入れました。また、大森老師の奥様は茶道を指導し、「剣と禅」「書と禅」「茶と禅」を実践する場を提供してきました。

爾後、鉄舟居士の遺芳と精拙大和尚の禅風は脈々と受け継がれ今日に至っています。檀家のない高歩院が今日まで八十年ちかくに渡り維持されてきたことは、多くの先人の貢献、御寄付によるものであり、たいへん稀有で貴重なことであります。

益々複雑化し、混迷を極める今の世の中において、悩みを抱え、苦悩する人々への救済の場としてこの場を提供し続けることは、とても大切なことであると考えています。

 

私たちはこの貴重な場を未来に向けて存続させなければならないと思っています。

高歩院縁起

坐禅会

活動紹介