教外別伝不立文字 。元来、「這裡」つまり仏法のぎりぎりのところには一言のことばも文字もありません。説明することができないのです。それにあっても祖師方はこのように 禅宗四部録といったものを残してくださっている。それは祖師方の痛心切実なればなりであり、まさに「練り出だす人間の大丈夫」です。そういう気持ちで提唱させていただきます。
坐禅儀について
坐禅儀の成立は、それほど古いものではありません。実は、成立年代とか、誰が書いたかということは明確には残っていないらしいのですが、種々の状況を考えていくと中国の宋の時代、長蘆宗賾禅師というお方が作っただろうと言われています。もともと宗賾禅師は自分が生まれるより五百年も前の唐の時代に書かれた百丈禅師の清規を一所懸命探したけれども、結局見つけることが出来ませんでした。そこで断片的に残っているものなどを頼りにまとめたものが、この坐禅儀であるともいわれています。ちなみに、長蘆宗賾禅師は碧巌録、雪竇明覚和尚の法孫にあたります。
坐禅儀の構成は、大きく四段に別れると思います。まず、坐禅は何のためにするのかという、坐禅の目標がズバリと書かれているのが第一段、そして、具体的にどうやって坐るか、右の足をどうのとか具体的なことが書かれているのが第二段目です。そして、第三段目に坐禅修行をするときの用心が事細かにあり、最後の第四段目に禅定の ことについて書かれています。
この坐禅儀にはひとつの根底となる考え方があると思います。それは六祖慧能 大師の「定慧一等 」という考え方です。六祖壇教にも定慧一等、定がすなわち智慧 であり、智慧を引き出すものは 定 であるという考え方が貫かれています。そこを把握しておくと、わかりやすいのではないかと思います。
坐禅儀 (第一段)
「それ般若 を学ぶ菩薩は先ず大悲心を起こし 弘誓 の願 を発して三昧 を精修し て誓って衆生を度すべし。一身の為に獨 り解脱を求めざるなり」
まず最初に「般若 」とあります。禅宗禅学辞典には、「煩惱生死 を除く智慧、有為無為の一切を截 る智慧」と書かれています。定慧の「慧」、智慧が「般若」です。それを学ぶ菩薩、すなわち我々は、まず大悲心を起こす。そして、弘誓の願を起こして、三昧 を精修する。この「三昧」と言っているところが「定」です。もう最初のこの一文のところに「定 」と「慧 」がそのまま出ているわけです。
私が最初に鉄舟会の門を叩いたのが二十代の前半でした。当時は、まだ大森老師がご健在で、書店に行けば、大森曹玄老師と山田無文 老師の本が所狭しと並んでいました。まだ何もわからず一所懸命その本を読んだ記憶があります。その時に、禅宗四部録、坐禅儀も読みましたが、この一文で、「もうダメだ」、自分にはできないと思って、鉄舟会には四回くらい来てやめてしまった。それ位に、私には非常につらい一文でした。
もう自分がなんとか救われたいという一心で来ている、「一身の為に解脱を求めて」いるわけですから、それを頭から「そんなもんじゃ、どうしようもないだろう」と言われて、「ああ俺には禅の修行なんかできないんだ」と、そういうのに値するような人間ではないんだ、というふうに、それくらいこの坐禅儀が立ちはだかっていたという記憶があります。
臨濟録の中に「示衆 の三句」と言われるものがあります。
若し第一句の中に得れば祖仏のために師となる
若し第二句の中 に得れば人天 のために師となる
若 し第三句の中 に得れば自救 不了 と。
第一句、パッとこれを聞いて、即座に「はぁ、そうだ!」と、このことにまっしぐらに行けば、それは祖仏、お釈迦様と全く同じ気持ちだよと臨濟禅師は言います。そういう根機の人は実際にいると思います。第二句のうちに得れば、つまり、この坐禅儀のようなかたちで解説を聞いて、それで「なるほどな!」「これだろう」というふうにわかる人は人天 のために師となる。皆さんのために師となることができる。第三句と言っているのは、更にもっと色々噛み砕いて、あれやこれやと手を尽くして言われてやっと、まあそうかなという風に思った者は、自救 不了 。自らを助けることも出来ないというか、自らは助けることが出来ないというか、要するに人の助けが必要だということです。二十代の私はその三句でもわからなくて、逃げ出してしまった訳ですから、話になりません。
ただ、臨濟禅師はそう仰っていますが、最近私が思っているのは、その逆も正しいだろうということです。最初は第三句にわかって、次に第二句、そして第一句にいく。そういう道もあって然るべきだろうなと思っていますし、大森老師の参禅入門にもここのところは明確に書かれています。だから、まずは自分の解脱を求めることでも良いのではないだろうか。そして第一句にわかるという世界がその先にあるんだということを持って修行をやってくれよと、そこはそういうことで良いのではないかと思います。
坐禅儀(第二段)
第一段目で示された「目標」に向かっていくために、どのようにやっていけばよいのか、次の第二段目に入っていきます。
「爾 、乃 ち諸縁 を放捨し萬事 を休息 し身心一如 にして動静無間 なるべし」
これは読めばそのとおり。諸々のしがらみを放して一切のことをやめて身心 一如 だから動静無間 でやってくれよということですが、言うは易し行うは難しです。特に居士禅はここに注意が必要です。僧堂に行くと諸縁は放捨して萬事は全部休息 しています。もちろん作務だとか、猛烈に厳しいのですが、とにかく修行中はやることは決まっている訳です。だから、諸縁を放捨して萬事を休息 していると言っても過言ではない。いやでもそうなる。身心一如なんて当たり前のようになってしまう。
動静無間 も当たり前です。さっきまで動いていたと思ったら、もう作務着を衣にすぐ着替えて、それも一分もかからずにすぐ着替えて、すぐにばっと単に上がってもう安単しなければいけない。何か始まる前には十五分前安単といって、坐禅のかたちをとっていなければいけないのです。そういう状態ですから、これは当たり前なのです。逆にいえば、そのために僧堂というものがあるわけです。坐禅儀に言っているこれを成し遂げるために、そういうシステムがあるわけです。
しかし居士禅はこれを自分でやらなければいけない。坐禅例会がある、朝の坐禅、夜の坐禅がある。それは用意されるかもしれないけれども、そこに当てはめていくのはご自分です。諸縁を放捨するのも自分だし、萬事を休息するのも自分だし、諸縁を諸縁として成し遂げるのも自分だし、萬事を全部自分でやらなければいけないのも自分で、全部自分でやらなければいけないわけです。だからものすごく難しいのです。
毎日、スベッタ、コロンダ、自分の尻ぬぐいだけでなく他人の尻もぬぐわなければならない。朝、目覚めたら夜寝るまでジェットコースターに乗ったように激しく動いている。その中でも禅修行を志した皆さんです。どうか、一足飛びに行けないとしても自分の修行の流れというものを自分で作っていただきたい。本当に心からそう思います。
「動静無間 」とは、動静に 間 なしということです。昼間、仕事をして働いている時にも坐禅のところ、或いは公案の拈提 、というように間 がないということです。その感覚を掴 んでいただきたい。鉄舟誌にも書きましたが、「さぁ坐禅やるぞ」「さぁ拈提するぞ」では間が空いているのです。動静無間 なるべし。ここのところを是非、汲み取っていただき、これから修行していただければと思います。
「禅宗四部録 坐禅儀提唱」(平成三十年十一月三日 提唱を抄録 鉄舟会齋藤)