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カレーライスとライスカレー

これも僧堂で老師の隠侍をしていた時の話です。

 

月に一度くらいは精進カレーライスが出ました。老師のお皿にご飯とカレーを盛る時に私は今では普通の盛り方をしておりました。カレーの量はご飯に掛けて食べるのに十分な量です。

 

ところが、老師にお出ししたら、大目玉です。

「何でこんなにカレーを入れるんだ。これじゃ、もっとご飯を食べなければならないじゃないか」と。ですから、その次からは、「こんなにカレー少なくていいのか」と思うほど量を減らしました。全くお小言はありませんでした。

 

しばらく経って気付きました。「そうだ、老師のお若いころは確か、ライスカレーって言ってたんだ」と。つまり、ライスをカレーにちょっと浸けて食べるからライスカレーと。戦後の物資のあまりない時のことです。

 

地政学の祖とも言われるマッキンダーは仏教や中世のキリスト教は世界が貧困だったために、欲望を捨ててしまうことが唯一の幸福への道であった。だから自己否定を基本に置いている、と言っております。

自己否定の先に、世界の本源を見出しているのですが、マッキンダーの言うところを逆にとると、貧困の極みは、世界の本質を得るための大きな要因である、ということになります。

 

戦後、日本は物がないから、豊かになろうという全員の強い思いがありましたが、それと同時に物を大事にしよう、そして自分とは何だろうと多くの人が真剣に求めていたと思います。

貧しさにもどろうとは思いませんが、本質を求める精神的な渇望を失ってはいけません。それがなければ、心吹きぬく寂しさに打ち勝つことは出来ないと思います。

 

スマホ自在禅はそういうことを目指しております。